東京映画日記

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作家だけじゃなくものづくりしてる全ての人に見てもらいたい 映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」感想

映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」感想

作家だけじゃなくものづくりしてる全ての人に見てもらいたい

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作品データ

原題 Rebel in the Rye 製作年 2017年 製作国 アメリカ 配給 ファントム・フィルム 上映時間 109分 映倫区分 G

スタッフ

監督 ダニー・ストロング
製作 ブルース・コーエン ジェイソン・シューマン ダニー・ストロング モリー・スミス サッド・ラッキンビル トレント・ラッキンビル
製作総指揮 エレン・H・シュワルツ スコット・ファーガソン マシュー・サロウェイ クリスティーナ・パパジー
原作 ケネス・スラウェンスキー
脚本 ダニー・ストロング
撮影 クレイマー・モーゲンソー
美術 ディナ・ゴールドマン
衣装 デボラ・L・スコット
編集 ジョセフ・クリングズ
音楽 ベアー・マクレアリー
音楽監修 ジョナサン・ワトキンス

キャスト

ニコラス・ホルト J・D・サリンジャー
ケビン・スペイシー ウィット・バーネット
ゾーイ・ドゥイッチ ウーナ・オニール
サラ・ポールソン ドロシー・オールディング
ビクター・ガーバー
ホープデイビス
ルーシー・ボーイントン クレア

解説

2019年1月1日に生誕100周年を迎える小説家J・D・サリンジャーの半生を描いたドラマ。1939年、作家を志しコロンビア大学の創作学科に編入した20歳のサリンジャーは、大学教授ウィット・バーネットのアドバイスで短編小説を書き始める。出版社への売り込みを断られ続ける中、ようやく掲載が決定するが、太平洋戦争のぼっ発によって、その掲載は見送られてしまう。召集により戦地に赴いたサリンジャーは戦争の最前線で地獄を経験し、終戦後もそのトラウマに悩まされながら、初長編「ライ麦畑でつかまえて」を完成させる。この作品の成功により、突如として名声を手に入れたサリンジャーだったが……。サリンジャー役を「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のニコラス・ホルト、バーネット役をケビン・スペイシーがそれぞれ演じる。監督は「大統領の執事の涙」の脚本を手がけ、本作が長編監督デビュー作となったダニー・ストロング。

映画.com imdbより引用


予告編

[鑑賞データ]

2/11(月)15:15 TOHOシネマズシャンテにて字幕版を鑑賞しました。

客席はほぼ満席でした。

テーマ「作家は何があっても書き続けなければならない」

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映画.comより引用

 

hulu

ネタバレあらすじ・感想

どれくらいの脚色が入っているのかはわからないのですが、世界中でイタい若者を量産してきた「The Catcher in The Rye」の作者J・D・サリンジャーの半生を描いた伝記映画でした。
驚くほど数奇な人生だったようですね〜。
去年見た「ライ麦畑で出会ったら」は年をとったサリンジャーがチラッと出てきますが今回はサリンジャー自身が主人公です。
ちなみに僕の感想はこんな感じです。




ネタバレあらすじ

ジェリーことJ・D・サリンジャーニコラス・ホルト)は作家志望の若者でしたが、フラフラ飲み歩いていました。
ある日ナイトクラブで美しい金持ちの令嬢ウーナと出会い一目惚れ、ナンパをします。しかし、自称作家の何者でもないジェリーはあっさりあしらわれます。
その日から一念発起して父親にコロンビア大学の創作学科へ通いたい旨を伝え、母親の後押しもあり編入することになります。
コロンビア大に入りたいというのには理由がありました。ジェリーが好きな文芸誌「ストーリー」の編集長であるウィット・バーネット(ケビン・スペイシー)が教鞭をとっているからです。
ウィットはジェリーの才能を見出すと、かなり厳しい言葉で指導します。決して褒めません。その心とは裏腹に極めて凡庸な作家であるとジェリーを評します。
そして、落とされ続けても書き続ける覚悟があるのか?という問いかけをします。
ジェリーは諦めませんでした。
世間に対する鬱憤を、批判的で皮肉を込めた自分の声を、怒りを、作品にぶつけるようになります。
何度も何度も掲載を断られましたが、ようやくジェリーの短編が掲載されることが決まりました。その作品は一番最初に書いたものでした。
最初に手にしたギャラは25ドル。ようやく苦労が報われ作家としての人生がスタートした瞬間でした。
作品を発表できたジェリーは、堂々とウーナに再チャレンジすると今度はうまくいき、交際をスタートさせることができました。
その後も精力的に作品を書き続けますがなかなか採用には至りません。すると権威ある文芸誌「ザ・ニューヨーカー」から「マディソン街の反抗」という短編を掲載したいという話が、出版エージェントのドロシー・オールディングから舞い込んできました。この作品の主人公はあのホールデン・コールフィールドです。
しかし、掲載には2箇所の修正という条件がついてきました。ジェリーはその条件を飲むことを拒否します。
そうこうしているうちにラジオから不穏なニュースが。それは、日本が真珠湾を攻撃し太平洋戦争が開戦した知らせでした。アメリカはこの攻撃を受け、ヨーロッパ戦線と太平洋戦線への派兵を決定し、戦争に突入します。 しかも戦時にそぐわない内容ということで、ニューヨーカー誌への掲載の話もたち消えになります。
ジェリーは陸軍に入隊することになります。出征のための壮行会のあとバーネットがジェリーに言った言葉は「書き続けろ」「絶対に生きて帰ってこい」でした。
イギリスに送られたジェリーはバーネットの言葉通り執筆を続けます。
しかし、そんな中ショッキングなニュースが舞い込みます。新聞を見ると喜劇王チャーリー・チャップリンが結婚したというニュースだったのですが、その相手が何とジェリーの恋人ウーナだったのです。
舞台ではそのニュースで持ちきりで、からかわれたりもしましたが一番の戦友の励ましもあって基地での辛い日々をしのぎました。
そしてあのD-DAY「ノルマンディ上陸作戦」にジェリーも加わることになります。
その後の戦地で一番の戦友も無くし、ジェリーにとって過酷で辛いものでしたが、話を創作することで何とか命を繋いでいました。書けないときはひたすら頭の中でストーリーを暗唱して創作することをやめませんでした。
ようやくドイツが降伏しヨーロッパでの戦いは終わりを告げたのですが、ジェリーは神経を衰弱しPTSDのような症状が出ていたためドイツの病院にとどまり療養します。
ある日回復したジェリーがニューヨークに妻を連れて戻ってきます。すぐに離婚してしまいます。。。
戦争も終わり「マディソン街の反抗」の掲載案件も再出しますが、条件は同じなのでジェリーが二の足を踏んでいるとドロシーは一度この条件を出した上層部と会って話を聞いてみない?と提案してきたので会うことになりました。
責任者は「良くするための提案だから一度その通り直してみてくれないか?それで悪くなるのであればオリジナルを掲載する」ということを約束してきたので、ジェリーは素直に直してみます。すると、前より良い作品になったのです。
その頃、ずっと書き続けていた短編選集をストーリー誌のバーネットに託していたのですが、こちらは通りません。
ジェリーはいつもバーネットと会っていたカフェで再会を果たしますが、上層部と掛け合ってみたが通らなかったことを告げられたジェリーは愕然とします。
戦地で命をかけて書いた作品が通らなかったことへの憤りをバーネットへぶつけると、こちらも命をかけて掛け合っていたんだという返し方をバーネットはしてしまいます。これは文字通り戦場で死にそうになりながら作品を書いていたジェリーにとっては禁句でした。ジェリーはここでバーネットへの怒りをぶつけ絶縁を宣言します。
バーネットに強く勧められたホールデンを主人公にした長編をジェリーは書く必要がありました。
しかし戦争での体験はジェリーにとって深い心の傷となっていました。
机に向かっても書けなくなります。
戦争中にホールデンのことを書き続けたため、書こうとすると戦争の忌まわしい記憶が蘇ってしまうのです。
このころからジェリーは瞑想をするようになります。知り合った仏教の僧に、自分の心を蝕んでいるものを告白し瞑想を勧められたからです。
始めは瞑想して机に向かうも書けませんでしたが、迷走して書き出しては髪を破ることを何日か繰り返しているうちに、書けるようになっていったのです。
そうしてついに長編「The Catcher in The Rye」は完成したのです。
出版に関しては、一悶着ありましたがある出版社が手を上げてくれ出版されるやいなや瞬く間に大ヒット、ベストセラーとなり一躍時の作家となります。
この作品はカルト的な人気を見せて、ホールデンは自分のことだと思い込む読者が続出し、ホールデンの特徴である赤い帽子をかぶって待ち伏せするファンが現れ始めたり身の危険を感じることが増えました。
どこへいってもちやほやされる状態が続きましたが、この状況に飽き飽きしていました。
あるパーティで会場を抜け出し屋上でタバコを吸っていると、ある女性が話しかけてき他のですが他の人たちのようにジェリーを特別扱いせず話しかけてくれることに興味を持ち、電話番号を聞き出します。のちに妻となるクレア・ダグラスでした。
ジェリーはファンたちの行き過ぎた行為に辟易して郊外に家を買いました。
基本的に人と会うことは断っていたジェリーですが、地元の高校生とは交流を持って自宅に招いたりしていました。
そのうち一人の高校生が校内の新聞に載せるのでインタビューをさせてくれないかと申し出てきたので、校内新聞ならと快く応じた内容が、地元の新聞に掲載されるという出来事が起こり、「子供までも裏切るのか!」と激しく憤り、家の周囲に壁を築き全ての交流を断ちます。
クレアだけは近くにいて、結婚したのですがそれでも一人部屋にこもって瞑想と執筆を続け一人の世界に引きこもっています。
その頃、バーネットのストーリー誌は廃刊の危機に陥っていました。そこでドロシーに電話をしてジェリーの昔の選集を出版させてくれないかとの依頼をしましたが、ドロシーは断ります。
ある日ジェリーの家にバーネットから電話がかかってきてクレアがそれをとります。代わろうとしないジェリーに辛辣な言葉で出るように促したので渋々電話に出ると、記念の選集を出すので序文を書いて欲しいという依頼でした。意外なことにジェリーはその仕事を引き受けます。
内容はバーネットへの賞賛と感謝の言葉で綴られた文でした。
しばらくしてバーネットはジェリーを訪ねてきました。理由を尋ねると「もらった文章は使えない」「私への言葉ばかりでストーリー誌への言及が少ない」といった内容のことを言いました。
初めて会った時と変わらないバーネットの態度にサリンジャーは微笑み、サヨナラを告げました。
後日、ドロシーとジェリーが話しています。次の作品の話が来ているが、もう出版はしないでただ書くことを続けるということを告げました。
サリンジャーはそのまま引きこもり子供も生まれましたが、家族とさえも向き合わないことに愛想を尽かしたクレアは家を出ました。

戦争と瞑想が彼に与えた影響

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映画.comより引用

もともと偏執的で斜に構えて皮肉屋なところはありましたが、夜な夜な友達とナイトクラブに出歩くなどをしているので、それほど孤独に寄った人間ではなく割と快活な人間だったことが映画の冒頭でわかりますが、やはり戦争にいったことによるPTSDが、彼の人に対する態度に大きく影響を与えたことは間違い無いでしょう。
それほどまでに辛い体験だったんでしょうね。

言葉を武器に戦う者として

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映画.comより引用

ジェリーは結局最後までバーネットと和解することはありませんでした。
それはバーネットが使った「表現」のせいです。
本当の戦争を見てきていない者が、自分の大変さを戦争を例えとして使ったのが許せなかった。言葉のチョイスミスです。しかも言葉のプロがそれをやってしまったのが許せなかったんでしょうね。
この場面含めケビン・スペイシーはさすが名優と言うべき素晴らしい演技を披露していました。

作品を作り続けること

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映画.comより引用

ジェリーの成功には本人の才能がもちろん大きかったと思います。事実この作品は才能(talent)と言う言葉が頻出します。 しかし、何より才能があっても作り続けないことには意味がありません。 だから最初にバーネットが教えたことは、作り続けることだったんです。ジェリーの作品を落とし続けることによってそれでも作り続けることができる人間かを見極めていました。 周りの人間の協力がなければ成功は遠のいたでしょうが、その協力者はジェリーが作り続けることによって出てきた人たちです。 やはり作り続けることの重要さがわかりますね。

好きなセリフ

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映画.comより引用

ジェリーが初めて作品を「ストーリー」に持ち込んだ時に受付嬢が作家の名前を見てJ・D・サリンジャーの「J・D」はなんの略?というシーンがあって、ジェリーは「Juvenile Delinquent(非行少年)」と答えるシーンがあるのですが、このやりとりが如何にもホールデンが言いそうなセリフで思わず笑ってしまいました。

関連

これ読んどきゃ間違いないって言う村上春樹訳版です。

 

この短編も有名ですね。

 

今回の映画の内容とどれくらいシンクロしてるんでしょうね。

 

 

まとめ

全てのものを作っている人が観るべき映画だと思います。特に作ったものを否定されてへこたれてる人や、人からの評価を恐れて作れなくなっている人(自分のことですな。。)なんかが観ると勇気をもらえるような内容だと思いますよ

オススメ度

(★★★★★)5/5

こんな人にオススメ

サリンジャー作品が好きな人
・何かを作っている人
・作家を目指している人